国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
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2002年度総会記念講演

「国際人権大学院大学(夜間)の設立に期待するもの」
〜21世紀における環境と人権の観点から〜
炭 谷  茂 (環境省総合環境政策局長)


1.最近の我が国の人権の状況
  ・社会福祉基礎構造改革の狙い
2.我が国社会の深刻化する問題
  ・欧州における状況と「ソーシャル・インクルージョン」の理念
  ・CANの活動
  ・ポスト地対財特法への活用
3.環境政策の変化
  ・環境・社会・経済の融合
4.国際人権大学院大学(夜間)への期待

1.最近の我が国の人権の状況

炭谷茂さん ただいまは過分なご紹介をいただきましてありがとうございます。今日のような晴れがましい席にお招きいただきまして厚く御礼申しあげます。
 まず最近の人権の状況ですが、いい事としましては、ここ2、3年の間にたくさんの人権に関する法律が成立したことです。2000年12月に「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」ができました。また、続いて「児童虐待防止法」、また今年は「DV防止法」が完全施行され、「ホームレス自立支援法」というものができました。以前から考えれば想像もできないようなことではないかと私自身感銘を受けています。
 これらの法律の特色は、全てが議員立法でできたということです。我が国の立法というものは、内閣提案が大半を占めていたのですが、最近は、このような法律が議員立法によって提案されているというのが、特色ではないかと思います。
 そして、その議員立法を進めていく勢力、力というのは住民の力、また民間団体の力によってなされているということが、大きな特色ではないかと思っています。
 日本も、国民参加の政治というところに、だんだん近づいているのではないかと思います。と言いますのも、例えば「人権教育・人権啓発の推進に関する法律」の第1条の中には、個人の尊厳というものをしっかりと条文の中に書かれていますが、こういった法律もこれまでなかった点であると思います。

 また、「DV防止法」の場合は、前文の中にやはり同じように、個人の尊重という理念、いわば人権擁護の理念というものが明確にうたわれているというところで、注目しなければいけない点ではないかと思います。このように、我が国の人権の法律というのは、最近、本当に充実・整備されてきたなというふうに思う訳です。
 しかし、だからといって人権の行政というのは、法律は立派にある程度整備されつつあるけれども、どの程度うまくそれらが実行されつつあるのか、やや疑問な点もあるのではないかというふうに思います。日本にはたくさんの地方自治体がございますが、その地方自治体の人権行政をみてみると、どうも上滑りをしているんじゃないかと。本当に定着していないのではないかと思います。
 東京でも、東京都の広報や区の広報で、人権に関する講座や講演会の案内が入っています。そして、それらの講演会を聴きに行きますと、残念ながらそれらから受ける印象というのは、なるほど立派な講師の方がお話しになるのですが、全てが一般的・抽象的な人権のお話に終わっているのではないかと、そして付加的に何か自分の経験を少し交えた程度のものになっているといった感じを受けます。

 また、よくある例ですが、人権の向上を図るために、小学生や中学生から、作文のコンクールを募集したり、ポスターを作ったりします。子ども達に人権の意識を求める効果というのは確かにあるわけですけれども、一般的に地方自治体の作られるポスターや、標語の類を見てみると、こういうものでいいのかなあと。本当に人権というものの本質を捉えているのかどうも疑問に思う訳でございます。
 何故このようになってきているのか。人権問題というのは本来、個別的に起こってくる。また、実体的に起こってくる訳です。人権というのは、常にそのような性格を持っているということは、人権の世界の歴史の中でも明らかなのではないかと思います。
 例えば、1789年のフランス革命の結果、人権宣言が出され、世界の人権の基礎になった「自由・平等・博愛」という人権の価値がうたわれました。しかし、気をつけなければこの人権というのは、選択的・恣意的になってしまい適正に働かなくなると、当時の著名な社会学者オーギュスト・コントが既に言っています。フランス革命で「自由・平等・博愛」と言われたけれども、当時、あくまでその平等というのは、女性は対象にはならないのです。また、フランスはいろいろな所に植民地を作りました。近くではベトナムがそうであり、この植民地においては、このような人権というものは適用されなかった。あくまで恣意的な適用に終わっている訳です。だから人権というのは、常に内容を適切に深めていかなければならないという宿命を負っている訳です。
 ですから、私は人権というものを常に実体的・個別的に考えます。もしそれを一般論・抽象的に考えれば、そこに恣意的なもの若しくは内容の空疎なものになるのではないかと考えられるからです。
 現在、なぜ地方自治体の中でこのような事が起こっているのか私なりに考えてみますと、1つは個別問題を避けるためにあえてこのような一般論で終わっているのではないかという気がします。ややこれは、私の見方が偏っているというお叱りを受けるかもしれませんが。

 2番目は、人権というものに対する理解というものが、地方自治体の職員のレベル、私ども公務員全体、また一般の住民のレベルもそうなのでしょうけれども、なかなか深まらないというようなところがあるのではないかと思います。
 3番目には、私自身仕事をしていて感じるのですが、人権というものを、私の言う個別的・具体的に考えれば考えるほど、本当に全てのことに結びついてくる複雑な連関を示してきます。そしてそのように考えてくると、実際の人権行政の中では、収まりきれないように深くなってしまうということも考えられるために、出来るだけ縮小し、小さく捉え、そして抽象的に捉えるということが、起こってくるのではないかと思う訳です。現在、日本の人権の法律はたくさんございます。しかしそれが本当の意味で根付くためには、まだまだ時間がかかるのではないでしょうか。

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